推しの卒業、私の涙はどこからきたのか
間が空いてしまいました。かもめです。
更新してない間にも観劇したりしてたのですが、自分的にこの話をしないと次に進めない気がしていました。
推しがあんステから卒業しました
2.5を中心にしたこの界隈のゆるいオタクを初めて10年ほど経ちますが、ずっと 推し と公言する存在はいませんでした。
推し活に悩む人のエントリやツイートを読んで、推しを持つことに漠然とした恐怖を持っていたからです。
そんな私が、あんステ初演で存在を知り、彼の向上心と実現力に惚れ込んでみ、推すと決めたのが今年の春。
知ってから推すまでが空きすぎなんですが、10年先も彼が俳優でいてくれるように応援するスタンスで推しています。
そんな彼が、役者人生の原点であるあんステから卒業しました。
上映会が終わるまでは、とキャラビジュだったTwitterのアイコンがアー写に戻っていて、彼が演じた役からすっぱり離れる決意をしていることを実感しています。
推しを持ったのが初めての私にとって、卒業とはどんな感覚なのだろうか?と思っていましたが、体験してみると想像以上にしんどいものなんですね。
1ファンでしかないのに、彼の思い入れに感情移入して、たくさん涙を流しました。
なぜ涙を流したのだろうか?と不思議に思います。
あんステは毎回観に行っていても、毎回何かしら合わないところがあって、熱狂的に好きなわけでもないんです。
推しが役を卒業したからといって、世界は終わらないし、なんならあんステは新作上演が決まっている。
嬉しいことに彼は卒業後の仕事も決まっていて、役者を引退するわけじゃない。
じゃあ私は何に涙したんでしょうか?
結論から言うと
共感と嫉妬ではないかと考えています。
共感は単純です。
応援している彼の思いや姿に共感した結果、流れた涙。
Twitterやブログなどで語られている彼の気持ちを、ついつい板の上で行われるパフォーマンスに重ね、彼が何を意識し、何を伝えようとしているのかを解釈する。その結果の涙だと考えています。
では、嫉妬による涙は何か。
これは完全に個人的な事情で、「役を卒業までやりきった」ということに嫉妬したと考えています。
私自身は何かをやり遂げたことがないから。
かつ、初めてやり遂げられそうだった事案から不本意に外されてしまったばっかりだったから。
初演から任された役を最後までやりきり、後輩へプレッシャーにならないように言葉をかける姿が、自分がそうしたかった姿と重なって、羨ましくて仕方なかった!
その気持ちを彼の卒業に重ね、前が見えなくなるほど泣いたのだと思います。
冷静になって振り返ると、こんな個人的事情を重ねてしまったことが恥ずかしくてしょうがないですね。
生身の人間が演じているものを、リアルタイムで実感するから、良くも悪くも影響されやすい世界なのだろうと思います。
推しの卒業というのは、想像以上に自分の心に重くのしかかるものでした。しかし、彼が次へ繋いでくれるキャストを想い、コンテンツが更に大きくなることを望んでいるのだから、私はそれを応援しようと思います。